
プログラミング入試
プログミング入試を聖徳学園では行なっています。
ここに試験の様子を掲載することはできませんが,プログラミングに取り組む受験生を見ていて思ったことを残しておきます。
いやあ君すごいね
私の専門は本来国語です。入試問題を作っていたこともあります。入試で自分の作った問題を解く受験生を見ていて,「お,この答えはなかなかよく書けてるな」とか,「なるほど,そう考えるのね」と思うことはありました。定期考査でも「これはどうかな」と思った問題にスパッと正解を放り込んでくるような生徒がいて嬉しくなったこともあります。
でも,「いやあ君すごいね」と思ったことはほとんどありませんでした。確かに大学入試対策の演習をやっていて,自分の考えた模範解答よりも気の利いた答えを導き出して来た生徒に「すごい,素晴らしい!」と言ったことはあります。けれども,もう圧倒的に「これは自分には無理だな」はなかったと思うのです。
今回,プログラミングをする受験生を後ろから見ていて,「いやあ君すごいね」と本気で感心し,出来ることなら終わったところで声をかけて話をしてみたくなりました。限られた時間内で,効率的に物凄い量をこなし,美しい世界を築いていく。きっとその受験生の頭の中には描きたい世界が見えていて,画家が筆を操ったり,ミュージシャンが楽器を奏でるように,コンピュータを使って世界を可視化していくようでした。
専門外だから言えるのか?
専門が国語科だからプログラミングがすごく見える? まあそれも否めません。プロのプログラマーや情報を専門にしている先生方から見たら,そんなに感心するほどのものでもないのかもしれない。それだけのことなのでしょうか?
君はこんなことも出来ない
反省を込めて言えば,かつて自分が行ってきた教育は生徒に「君はこんなことも出来ない」「君はこんなことも知らない」と知らしめるものでした。自分の方が知識があり,技術もある。その知識や技術を知らない,持っていない生徒に教えてあげようという前提で行っていました。20代の頃は「俺の話を聞け」「板書の通りノートに写せ」「教えた通りに解けばいい」「理屈じゃなくて覚えてしまえ」でした。
「君はこんなことも出来ない」という前提ですから,そこに「いやあ君すごいね」はなかなか生じません。そりゃそうだ。昔の生徒さんごめんよ。

君はこんなことも出来る
管理職になって授業を離れていたこと,そしてその間にICTの教育活用に出会ったことが今になって思えばラッキーでした。授業を離れたことで,教科に関係なくたくさんの授業を見る機会が増えました。俺の話を聞けスタイルの授業ってどうなのよと気づくきっかけになりました。そのタイミングでのiPadの登場。「こんなものを生徒が持ったら教育が変わっちゃうじゃん」という思いつきで学校に導入を提案してしまいました。
かつての授業スタイルじゃダメだという思いとiPadの存在。さらに国語科ではなくて情報科の授業で,しかもSTEAMの開発をやってみようという環境。「教えてやる」とか「俺の話を聞け」と言えるような知識も技術もない。
「こんなアプリでこんなことできるよ」「こんなサービスがあってこんなことにも使えるよ」「なんに使えるのかよくわからないけれどこれって面白い」が現在の授業のほとんどです。きっかけをたくさん経験してもらうだけ。
そうなると,生徒のアウトプットはこちらの予想を軽く超えてきます。「あら〜」「そうなりますか」「ほほう」と感心することも少なくありません。もちろんこちらの提示が甘くて「あれ,なんか響かなかったか」とガッカリすることも。
時には心の底から「いやあ君すごいね」と思う。すごく楽しい。本当に楽しい。こういう感覚は「俺の話を聞け」時代はなかったなあ。
STEAMを通して「君はこんなことも出来る」んだよってことを伝えたいし,「自分ってなんか色々出来ちゃうんだな」と考えられるようになってほしい。
「そりゃ面白い」
思えば大学時代の恩師の口癖は「そりゃ面白い」だった。学生の今から思えばつまらないような思いつきの発言にも「そりゃ面白い」とおっしゃっていただける方でした。それで調子に乗って勉強したなあ。「あれで騙されて勉強しちゃったよ」なんて言ってたけれども,あれは「自分ってすごいのかな」と自信を持たせてくれるすごい言葉だったなと思う。そんな恩師の凄さに気づくのがようやく今頃とは残念な教え子ではあります。でも違う形ではあるものの意図は継承できそうです。
(と,綺麗にまとめそうになったが,あの先生はホントいい加減だったな・・・。)
*文中の画像はマイクラに勤しむ小学生の次男。君,いつの間にこんなの出来るようになっとるんだ。
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