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学校が楽しくなくてもいい

takshinada6




学校が楽しかった人が先生になる?


教員になってかなりの間,なかなか言えなかったこととして,学校がそんなに楽しくなかったということがある。

学校生活が楽しかった人,好きな教科があって授業が楽しかった人,「あんな先生になりたい!」と憧れの先生がいる人が学校の先生になるのだと思っていた。と,いうか今でも大半の先生はそうなんじゃないかと思っている。

あんな楽しい学校生活を子どもたちにも送ってもらいたいという気持ちがあるからこそ,「ブラック」だと言われる環境でも頑張れるのだろう。

そんな先生方がこの国の教育を支えていることは間違いない。

ただ,学校がそんなに楽しくもなかった自分が先生をやっているということに後ろめたいような気持ちがあった。


楽しくなかった人もいるの?


友達が,面白いことやってる先生の資質ってなんなんだろうか,ということに関心を持って研究してくれている。何をもってして「面白いことやってる」なのか,とか難しいことは置いといて,(いや,研究だからそこも大事なんだろうけど)いろんな先生にアンケートを行ったり,インタビューをしたり,いずれ何らかの結果が聞けるのが楽しみだ。

彼と研究の話をしていて,学校生活が楽しくなかった先生もいると聞いて「あ,そうなんだ」と思った。

学校が楽しくなかった人が学校にいてもいいのかもしれない。


優等生


小学校の頃のことを書こうと思って書き始めたら長くなったので,それはまたいずれどこかで。

中学生の僕は「優等生」だった。

成績はトップクラス,学級委員長もしていたし,合唱コンクールでは指揮もした。運動会の応援団やる人がいないとなれば手もあげた。遠足の班作りで余ってしまう人がいれば声をかけた。自分で言うのもなんだけど,クラスに一人はいてほしいタイプの生徒だと思う。

で,学校が楽しかったかというとそんなことはなかった。

常に先生や友達の理想や期待に応えることを(勝手にだけど)意識して,本意ではない言動をすることも求められていると(勝手にだけど)考えて無理も多くて疲れるばかりだった。嫌な素振りは見せずに日々活発に楽しそうに振る舞うことが自分の役目だと信じていた。

学校とはそういうところなのだと諦めた。


妹のこと


僕には妹がいる。生まれつき脳性麻痺で体が不自由だ。母親はずっと妹の介護をしなければいけないから,自分のことで心配をかけられない。

オマケに家ではアル中の父親がクダを巻いているのだった。

だから僕は学校では問題のない優等生として母親が不安に思うようなことはできないと思っていた。


敵わないやと諦められた高校


優等生を振る舞っていたおかげで地域ではトップクラスの高校に進学できた。

優秀な先生方によるハイレベルな授業も今になれば良かったものの,一番嬉しかったのは,同級生がいろんな分野で凄すぎて,これはもう敵わないやと思えたことだ。

もう優等生である必要はない。

クラスや授業や行事が上手く進むことを優先して考えなくてもいい。

全体に埋没する気楽さが心地良かった。

当時はそのありがたさが今ひとつわかっていないところもあったけれど,良い意味で先生も同級生もほっといてくれるのはありがたかった。


そんな人が学校にいてもいい


学校がみんなにとって楽しいところであれば最高だ。理想的には。

でも,みんなが楽しくいられるように,そんな先生や同級生の思いを受けて,(それが勝手な自分の思い込みだったとしても)自分らしく過ごせない子どもはいるのだと思う。

みんなが素晴らしいという先生に馴染めず,すごいと言われる授業に疑問を持ち,待ち遠しい行事も楽しめない,そんな自分はダメなんじゃないかと不安になって無理しているかもしれない。

そんな子どもが学校にいてもいいと今は思える。

そんな君のようだった僕も今は学校で働いているし,そんな君が少しでも穏やかな気持ちで過ごせるようにしたいと僕は考えている。

理想的にはみんなにとって楽しいところであってほしいとは思う。

でも今の学校はそうではない。

それは先生が悪いわけでもないし,子どもが悪いわけでもない。

今の学校という仕組みの中で実現できていない。

だから学校を楽しめない自分を責めなくてもいいし,何とか適応しようとしている君をわかっているよという人が学校にいてもいいんじゃないかな。


余白のある学校生活


なんかここから宣伝みたくなっちゃうんだけど。

僕がYohaku Educationを作ったのは,ICTを使うことで学校生活に「余白」を作りたいと考えたからだ。

みんなにとって楽しい場所なら,ずっと学校にいたっていいと思う。

でも,勉強が嫌いとか,部活が辛いとか,そんな理由でもなく学校にいるのが本当の自分じゃないから辛いという人もいる。

もっと学校生活に余白があれば,朝から夜まで学校にいなくていい,好きなところで過ごす時間も作れるような形になったら,救われる人はいるはずだ。

みんなにとって楽しい学校生活になるように学校も先生も保護者も頑張っていることを否定するつもりも批判するつもりもない。

でも,その頑張りに応えようと無理をしている子どももいるのだということを心のどこかにしまっておいてほしい。

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